誇り高き葡萄酒

この季節は高額な世界で名だたるドメインのワインが飛ぶように売れます。
筆者もこの業界に入ったころはボルドーの五大シャトーやブルゴーニュのロマネ・コンティなど世界で有名なワインを試すことにあこがれを抱いていました。
ワインと言うのは人間と同じで一期一会。同じ収穫年に同じ生産者が作った同じワインを何回飲んでも、その時のテーブルの雰囲気、ワインのコンディション、サービスの仕方、グラスの形状、ともに頂く食事の味などなどでまるで味が違います。あの時の味をもう一度と思ってチャレンジしても失望を感じたり、感動を覚えたりと悲喜交々だったことを覚えています。

高価なワインをありがたく思って飲んでもそれはその時のその人の優越感やそのワインに対する価値観など目に見えないものに過敏に感情を出すのはどうなのだろうと疑問を持つことになっていきます。

例えば、1990年代から2000年代後半にかけて、幸いなことにボルドー五大シャトーの異なるヴィンテージを試飲する機会に立ち会えました。
毎年、その試飲の時には感動を覚えたものでしたがあるヴィンテージを境にそれは失われます。それまでは抜栓しても決して私たちに媚びることのなかった硬さと閉じこもった味わいがあり、いつ飲み頃になるのか、みなで話し合ったものでしたが、そのヴィンテージ以降は抜栓から赤い花のような香りとフルーツがどんどんとグラスの中から飛び出し、こんなに調子のいい八方美人のようなワインになったのかと驚きました。

その理由はいろいろあるのですが、結局は造る人の意向でどうにでもなるのかとおもったときにそのあこがれは薄れていったのです。

シャトーも会社と同じで経営があってこそのもので、樽に寝かせているワインは会計上、不良在庫と同じ。経営者としてはどんどん出荷したいのだろうと思わせました。そこに海外の新しいマーケットがバンバン売ってくれというと熟成を待たずにバンバン出荷してしまう。飲み頃も当然早まるような造りになります。
生産者によっては原産地統制呼称のルールに反したことをしてしまう。
これも、お金や誘惑などの目に見えないものに動かされてしまうのだろう。
だけれどもワインはそれについてケチをつけることはほぼできない。生産者はこう言うでしょう。「あなたはそのワインの本当の味を知っているのか?いままでにそのヴィンテージを飲んだことがあるのか?」と、突っぱねられてしまうでしょう。

実際に偽物を造るだけでなく、ルールに反したぶどうが入っていたり、生産過程でやってはいけないことをやった有名生産地のトップドメインもいたし、そういう事件もありました。
ぶどうは自然の産物ですがワインは人間の造るものだと思い知らされました。

その時にワインは日常のもの、お店のコンセプトでもある造った人が見えるワインをセレクトし、自分で感じたことを紹介していこうと心に決めたのです。
あるとき、コミック、ゴルゴ13を読んでいて、「誇り高き葡萄酒」1990年11月作品 94巻を見たときそんなことを思い出しました。
機会があればちょっと見てみることをお勧めします。面白いストーリーです。

よろしくお願いいたします。