2021年1月

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古酒ストックが凄いローリストン社”からの貴重なシングルビンテージ1973&1981
カルバドス界の名士として名高いクールドリヨン社のオーナー、クリスチャン・ドルーアン氏。同氏のプライベートストックを瓶詰めしたカルバドスとして、その稀少性と質の高さが広く認められている「ローリストン」。
パイオニア的存在のカルバドス生産者です。特に梨の含有率が多い「ACドンフロンテ産」が同社の代名詞的となっており、非常に柔らかく、そして繊細で優しい甘さが顕著で、優雅で深みのある味わいが、多くのファンから絶大な支持を得ています。
近年人気が高まってきているカルバドスの中で、カルバドスの魅力が存分に詰まったこのスペシャルボトル、ぜひゆっくりとした
素晴らしい時間と共にご堪能していただきたく。


ローリストン カルバドス ドンフロンテ 1973
容量:700ml 度数:42度
<テイスティングコメント>
香 り:ランシオ香によってもたらされるナッツや田舎の森林。
味わい:フルボディで感じの良いほのかな渋みをもった味わいがいつまでも感じられる。


ローリストン カルバドス ドンフロンテ 1981
容量:700ml 度数:42度
<テイスティングコメント>
香 り:しっかりとしたチェリーに、ほんのりおしろいの香り。
味わい:力強くフルボディ、しっかりしたタンニンを感じる。
フランス コルシカ島 洗練された人の作品
年末年始に試飲を重ねて印象的だったのはコルシカ島のワインでした。
フランス最南端の暑い平地で作られたぶどうからできたワインはきれいな酸とやわらかな果実。フランス本土のビオディナミとも少し違うイメージでした。
このワインはコルシカ島の南、アジャクシオのさらに南のサルテーヌに本拠地を構えるペロ・ロンゴという生産者。紹介文によると、このドメーヌはコルシカ島南部のフィガリから車で30分のSerraggiaに所在。近くにLion de Roccapinaと呼ばれる、ライオンの形をした巨岩があり、観光名所となっている。現当主のピエール・リシャルム氏は2代目。コルシカでは希少なビオディナミ生産者。ピエール氏がビオディナミに興味を持ったのはクロード・ブルギニヨン氏の講演が契機だった。2000年から始め、2003年に認証所得。プレパラシオンの500番、501番、504番の他、カモミールなどのハーブティーを使用。醸造は対流が自然に起きる卵型コンクリートタンクを、横に寝かせた状態で使う。その理由はそれが"自然”な形だから。SO2の代わりにイタリアから取り寄せた火山性の天然硫黄を使用している、とあります。新しい生産者でありますがこのコルシカの食文化の中で積み上げられたテイストとは違う、今の作り、マーケティングを見ていると言うか、人の味覚にどのようにインパクトを与えると感動が得られるか研究しているような感じでした。
もともとコルシカ島を代表するワインは北部のパトリモニオとかガップゴルスのミュスカがありますが、コルシカの歴史が描かれた本によるとそもそも、島にはぶどうはなく、島外から持ち込まれたもので、アルジェリア独立などで北アフリカから帰ってきた人たちに当時の政府が東海岸の湿地帯に農地を割り当てられたところから農業が広がっているそうで、特に内陸部の山岳地帯にも葡萄を作るのに不向きな高地が広がっています。
試飲していると特に地域の特徴や違いは捉えにくく、白のヴェルメンティーノ、赤のシャカレル、ニエルチュのキャラクターが前に出てくる。地質も歩いた実感では島全体が火山性土壌ではありますが、その構成や風化した露頭の古さの違いはあるものの品種のイメージが先に出てくるように見えます。
その中でコルシカ島のいろいろな地域のワインを試してみると、作る人のポリシーやオマージュの反映による味わいが大きいように伝わりました。
歴史時代が新しいせいかどんな食事と合わせるか、どのタイミングで飲むかとかあまり難しく考えず、うまいワインを飲みたいときに気軽に手に取れるアプローチで試してみるといいかもしれません。私は次の日の朝もすっきり起きることができました。
https://aquavitae.ocnk.net/product-list/77

ブケッタ デル ヴィーノ@フィレンツェ 今の状況を前向きにとらえるヒント
ブケットはフィレンツェの街の中心部に散らばっているだけでなく、周辺地域やトスカーナの他の都市にも存在する、この「小さな扉」は、明らかに小さすぎて本物の扉としても窓としても機能しない。そして、なぜこのような特殊な「小さな扉」が人気を博し、今でも150個以上がフィレンツェに残されているのでしょうか?その名が示すように、いわゆる "buchette del vino"(または "finestrini del vino")と呼ばれるものは、基本的にはワインを入れるための "小さな穴"(または "小さな窓")だった。それどころか、むしろ機能的な理由があったのです。

ほとんどの場合、ブケットは今では残念ながら無視されたり、通り過ぎる観光客に見過ごされたりしています。高さ15インチの石でできたアーチ型のドアフレームは、通常、宮殿の一階の大きな窓の隣にあり、小さな木製または金属製のドアでカンティーナ(ワインセラー)とつながっています。結局のところ、これらのブシェットが古代に「タベルナコリ・デル・ヴィーノ」(ワインセラー)と呼ばれていました。しかし、これらのブケットは、フィレンツェとその周辺地域の特定の建築的・文化的特徴を表しているのです。

ヨーロッパの政治と経済の大きな変化を受けて、フィレンツェの多くの裕福な家庭は、それまで築いてきた銀行や織物業をやめて、ワイン生産者として再出発し、より収益性の高いビジネスに土地を割くことを余儀なくされました。ジョヴァンニ・ヴィラニやジョヴァン・バティスタ・テダルディなどの年代記にあるように、当時のブドウ畑は有名なキャンティ地方だけではなく、城壁のすぐ外に広がる田園地帯にも存在していました。このように、ストロッツィ、アルビッツィ、パッツィ、リカソーリ、アンティノーリなどのトスカーナの元貴族であるファミリーがワイン部門に投資を始めました。

しかし、ブケット・デル・ヴィーノの人気が最高潮に達したのは17世紀に入ってからであり、特にオルトラルノ地区や街中の混雑した通りでの人気が高かったのは事実です。小さな窓」が普及した理由は、少なくとも3つあります。まず第一に、自分たちのブシェットを介して路上の顧客に直接販売することで、ワイン醸造家の裕福な家系がコストを削減し、同時に購入者を自分たちの大邸宅から遠ざけることができたこと、そしてブケッタ(ワインのボトルよりもわずかに大きい)の大きさは、顧客は完全に匿名でいることができました。貴族の宮殿の「小さな扉」をノックすれば、誰もがそこで働く使用人にフィアスコ(籐製のワインボトル)や自家製ワインを一杯、またお金持ちが使っているオリーブオイル、小麦粉、ハム、野菜などを頼むことができたのです。同時に、サン・マルティーノ・ヴェスコヴォ(フィレンツェの「ワイン製造業組合」であるヴィナッティエリの守護聖人)に敬意を表して、人々は貧困層のために食べ物やワインを置いて、困っている人のために必要な物資を置いていくことができました。