フランス新着 13世紀の英国国教会の畑がそのまま残る。

フランス新着 13世紀の英国国教会の畑がそのまま残る。
フランス南部、地中海沿いのコート デュ ローヌ地方、ヴォークルーズにあるシャトーヌフ デュ パプという銘醸地はその名の通り、「教皇の新しい家」。フランス南部のワインの中では最も歴史があり、かつ最も優れたワインといわれています。
アヴィニョンにローマ教皇が住むようになり、ローマ教皇の富を増やすため、アヴィニョンの銀行家とカオールのワイン醸造業者を連れてきことがその始まりと言われています。醸造業者たちは、フィリップ4世がテンプル騎士団を追放後に残された土地を開墾し、葡萄畑の優れた基盤をつくり、ヨハネス22世はアヴィニョン教皇の第二の住居として、シャトーヌフに要塞を建設しました。
その大きな歴史の流れの中で今回ご紹介するシャトーモンルドンの持つ畑はローマ時代にさかのぼり、2000年以上の歴史を持つと言われ、丘のふもとにこの土地特有の強風、ミストラルから守られるように樹々が植えられました。
シャトーの歴史記録を紐解くと、1344年にエピスコパル(英国国教会派)に属し、葡萄園として認識されています。16世紀にはローマ教皇と英国国教会が分裂し、ローマ教皇庁の管理下になりますが、フランス革命などで荒廃していきます。
18世紀半ば、モンルドンは貴族のジョセフイグナスダスティエに買収されました。ジョセフイグナスダスティエはアヴィニョンから法学博士号を取得し、アスティエの子孫であるマシュー家の所有物になりました。
「モンルドン侯爵」と名乗るアンセルメ・マチューは、母親のクレア・マチューが亡くなるまでこの地所を運営し、それが財産の分割につながりました。そして1866年に世界中に広まったフィロキセラがシャトーヌフデュパプの葡萄園を全滅に追い込みました。
1923年、モンルドンはアンリプランタンの手に渡りました。 2.5ヘクタールの土地を統合し、知識豊富なパイオニアとして、彼は広大な石と樹木が茂った高原に葡萄の樹を植えていきます。
何世紀にもわたり、葡萄園を4世代で守り、このファミリーは、品質要件を尊重しながら、日々のノウハウを充実させてきました。
現在、シャトーモンルドンはシャトーヌフデュパプの186ヘクタールをカバーしており、そのうち100ヘクタールには葡萄の樹が植えられています。
これだけの広大な畑を持ちながら、リリースするワインは13品種、シャトーヌフ デュ パプの赤白ワインのみという伝統を守り抜き、豊富な資源を使いながら品質向上を目指しています。

よろしくお願いいたします。