オーストラリアの歴史と共にあるワイン

オーストラリアの歴史と共にあるワイン
オーストラリアには入植当時の文化が形を変えずにそのまま残っているものが多く見られます。

1838年、ちょうどダーウィンがシドニーに到達した頃、海岸線沿いで牧羊業が盛んになってきたころに、スコットランド生まれのライリー兄弟が初めてブドウの木を植えたとき、アボリジニのコミュニティから「イェリング」と呼ばれていたこの土地は、ヴィクトリア州で最初の葡萄畑を作りました。兄弟は43,000エーカーの土地を取得し、ブラッククラスターとスイートウォーターという2種類のブドウ品種を植えました。また、この土地を使って牧畜を行っていました。

1850年、オーストラリアにゴールドラッシュを迎えるころ、その畑はスイス系イタリア人の移民、ポール・デ・カステラ氏に売却されました。彼は、シャトー・ラフィットを含む世界中の葡萄の木を調達し、畑を50エーカー増やしました。1859年、事業の拡大に伴い、デ・カステラ氏はワイン醸造用の設備を置くためにオールド・ワイナリーを建設しました。現在、この歴史的建造物には、何世紀にもわたるワイナリーの歩みを象徴するセラードアが設置されています。

1800年代半ばには、エルムの大通りや歴史的なヘリテージ・バーンなど、今日のブランドを象徴するようなイェリング・ステーションの特徴が確立されました。それぞれのシンボルは、何世紀にもわたる私たちの旅の証として輝いています。ラスボーン・ファミリーは、イェリング・ステーションの遺産を未来につなげるために、情熱をもってこれらの貴重な財産を守るために努力を続けています。

1800年代を通じて、私たちのブドウ畑はこの地域で最大級の規模を誇っていました。ヤラ・ヴァレーのワインは世界にその名を轟かせ始め、イェリング・ステーションはそのリーダー的存在でした。1861年、イェリング・ステーションのワインは、栄誉あるアーガス・ゴールド・カップで優勝し、1889年にはパリ万国博覧会でグランプリを受賞しました。これが世界的な評価を得るきっかけとなったのです。

1900年代前半から半ばにかけて、何度か所有者を変え品を変えてきましたが、1996年にラスボーン・ファミリーがイェリング・ステーションを購入しました。

農業とエンジニアリングの豊かな家系に生まれたワイン愛好家である彼らが、イェリング・ステーションを購入したことで、素晴らしいワインの旅が始まったのです。真の家族経営であるラスボーンは、現在ではこの地域のアイコンとなるものを築き上げました。シンプルで純粋なビジョンが彼らの情熱を支えています。

「1996年にスタートした当初の野望は、単に素晴らしいワインを作ることでした。」
- CEO兼ワインメーカー、ダレン・ラスボーン氏。

ワイナリーの評判を高めると同時に敷地を造成したイェリング・ステーションは、インターナショナル・ワイン&スピリット・コンペティションでのベスト・オーストラリア・ワイン・プロデューサーをはじめとする主要な賞を受賞しました。また、代表的なレストランとセラードアも、観光とホスピタリティの分野で多くの称賛を受けました。

スティルワインのポートフォリオを確立する一方で、ダレン・ラスボーン氏は、1996年に誕生したフランスのメゾン、シャンパーニュ・デヴォーとのジョイントベンチャー、ヤラバンクを立ち上げました。ヤラバンクは、シャンパーニュ地方の何世紀にもわたる伝統と、ヤラ・ヴァレーの近代的なワイン生産のバランスを考慮し、伝統的な製法で生産されています。ヤラバンクは、オーストラリアのスパークリングワインを代表するプレミアムワインとして知られるようになりました。

スティルワインとスパークリングワインのポートフォリオで素晴らしい評価を得て、2013年には頂点に達しました。私たちの最高級ワインであるスカーレットは、アロケーション・テイスティングで発見されました。精密なブドウ栽培への投資と厳格な醸造プロセスにより発見されたこのフラッグシップワインは、ジェームズ・ハリデイ氏の「ワイン・コンパニオン」で99点という驚異的なスコアを獲得しました。名前は、当社のブドウ栽培者である故ネイサン・スカーレットを記念して付けられました。
そんな歴史が表現されている味をお楽しみください。

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