ボルドー再考

こんな暑い時期にボルドーワインについて話すことは気持ちがはばかりますが、秋に向けての準備としてボルドーワインを再考してみました。

ボルドーワインは値上がりをどんどん続け、特一級以下、格付けワインはもはや、普通の食卓やレストランのテーブルに上がるには厳しい価格設定になっています。

特にプリムール(ボルドー地方で行われる、樽熟成中のワインを先行販売するこの地方独自の販売システム)での価格設定はどのシャトーでも強気で、まるでバブル時期の株価のチャートをみているようで、右肩上がりです。去年あたりから少し上げ幅は落ち着いたとはいえ、中国やBRICSなど世界のどこかの地域でバブルが発生し、富の象徴の一つとしてワインの購入を考える人たちの購入がそのバックグラウンドにあります。あるボルドーワインをテーマにした映画を見ると、中国人にとっては、「ワインの赤色」が縁起物であることも言及していました。

そんな高価格の食材をそもそも楽しむこととはどういうことなのか、ラベルだけをみてステータスを感じるくらいなら良いのですが、実際に抜栓して、試してみると自分の嗜好の味でもないということが中国でもよくあるようです。

パリの古いアパルトマンには必ず地下に駐車場とワインセラーが備え付けられていたものです。以前、そんなファミリーにご招待を受けたときに、食卓に普通にシャトーマルゴーやシャトーラフィットロートシルトが置いてあったのには驚きました。

ホストであるファミリーが言うには、「これらのワインはおじいさんが安く買ってきたものを保管してあったものだし、僕らにとってはタダだから。それよりもこうして友達が集まってきて、みんなで楽しみを共有できる機会があることのほうが大切なんだよ。」
と、言ってくれた時にはさらに感銘を受けたものです。

ホスピタリティというのはお金に換算することはできないと思っています。
招いた側の気持ちが伝わることが大事だとおもいますが、ホスト側にとっても、では何を提供すればいいのかというところが悩みの種であると思います。

いろいろなお客様の意見を聞くと、やはり今でもボルドーワインというのはちょっとした贅沢な時間を共有するために提供するにはよいアイテムではあるようです。

そこで価格に見合った味わいを探すことができれば、経済的負担も少なく、ゲストにも喜んでいただけるのではないでしょうか。

ボルドーワインを探す一つの目安にシャトー格付けやAOC(原産地統制呼称)などがありますが、いかんせんボルドーは広い大地で大量にワインを生産している場所ですので、その中から自分に合った一本を探すのはさぞ大変な作業であると思います。

筆者自身の判断基準はほかの地域のワインでも書いたのですが、「人」だと思っています。

特一級の五大シャトークラスでも2006~2007年にかけて生産のスタイルが変わったと試飲を通じて感じさせられました。

というのは、それまでのスタイルは長期熟成を感じさせるカタいタンニンや酸などの骨格を感じることができたのに対して、それらのワインは抜栓直後からブーケやフルーツの香りがふんだんに飛び出してきて驚きました。

もちろん、生産者の事情を顧みると、どんどん売れるワインに対して、飲み頃を待たないで、ストックさせているヴィンテージを前倒しして出荷せざるを得ないことがあったと思います。
それらの考え方はシャトーそれぞれに独自のポリシーを持っておられるようですが需要に対して供給が追い付かないのが現状です。

前述のプリムールでも、もはやその大義名分を果たせてないと感じたシャトーは参加を取りやめているところや、大量生産に見切りをつけて、目の届く範囲内での小規模生産、有機農法、ビオディナミ農法に切り替えるところがどんどん出てきています。

鉄板で簡単に状況が変わりそうにないシャトー群のあるボルドーでさえ、少しずつ新しい動きが見てとれるのです。

結局のところ、批評家や私たちのような消費者は思い思いのことを自由に発言していますが、生産者の方々の大変な苦労があって、食卓まで上がっていることを念頭に置いていることを前提にその考えが伝わればいいと思っています。