産地非表示ワイン
興味深い記事がありました。
「産地非表示ワイン」生産者たちがワインを共有する。
Vins sans indication géographique : des vignerons partagés
2016年1月1日からEU圏内で産地非表示ワインVins sans indication géographique (VSIG)が導入されます。
このワインが市場に出ることによってどういった影響が出るのか。
記事によると導入歓迎派は味の創造性が広がると言っています。フランスワインインタープロフェッショナル協会では2009年これまであったワインのカテゴリを見直していました。これまで、フランス国内では独自の栽培地が厳格に決められていましたので、そこを外れるとラベルにその生産地を表記することはできませんでした。しかし2016年からその規定をはずれ自由化の方向に向かうことになります。これによって輸出の需要を満たすための新品種の開発、新しいタイプのワインを造ることができる機会を与えられたと言えるでしょう。
そしてこの新しいマーケットはどこにあるでしょうか?世界の多くの地域でまだワインマーケットが未開発の場所が多く存在します。今注目されているのは中国です。
例えば、フランスの品種を持ってきて新しい味わいを作る、フランス国内でも同じ品種ながらもガスコーニュとラングドックなど違う生産地のワインのブレンドも可能になります。造る側は新しい市場の嗜好を見て様々なタイプのワインをリリースできるということです。
ヨーロッパのワイン輸入大国でもあるフランス、ドイツがその需要を満たすためにヨーロッパで最大の作付面積をもつスペインから輸入していますが、この競争力を再構築するための選択幅を増やしたと言えるでしょう。例えば、近年、葡萄畑が増えているイングランドからも輸入し需要を満たす選択肢が与えられることにもなります。
一方、反対派の意見はこうです。
「AOC (原産地統制呼称)制度の終焉だ!」
シャンパーニュ地方のマルヌ、ヴェルテュの首長でもあり、生産者でもあるパスカル・ペロー氏は「1927年から守られているAOCの死だ。テロワール(地味)というのは複数の土壌の条件、天候条件に基づいてできた制度。それに反して私たちの土地やよその土地で疑似シャンパーニュが造られることになります。そしてこの地方の良くないとされていた土壌でもぶどうが植えられることになります。それは品質の概念がなくなり、商品の味わいの低下を意味します。これは私だけではなくすべてのシャンパンメーカーが心配していることでもあります。ブリュッセル(EU本部がある)では当たり前のことのように決められてしまったが、ここヴェルテュではみんなが仰天しました。葡萄畑の面積の増加によって、味わいのレベルを維持することは不可能です。例えば大手メーカー、グランメゾンがイギリスに畑を買ってイギリス製シャンパン造ったらみなさんはそれを試したいと思いますか?」
とこの決定に怒りをあらわにしていました。
記事はここまでなのですが、ここからでは消費者側はどうするか。
この自由競争を歓迎するべきか、伝統あるラベル表記をまもるか。とてもデリケートな問題だとおもいます。
昨今報じられているTPP導入でもそうでしたが農家さんのご意見では日本の農家さんを保護する制度を作れという声もかなり聞かれます。ところが一方ではこの自由競争を利用して、日本の農作物を輸出するという新しい試みを行う農家さんも出てきました。
フランスでもそうですが保守派と急進派の意見は分かれるところでもあります。
時代の流れとともに変わる環境を捉え、どう対応していくか。
新しいシステムを導入して想像すること、長年守られてきた良き制度を守り続けることも大事だと思います。古きを温めて新しきを知る。
あの時飲んだ美味しかったワインがまた飲みたい、そんな気持ちにもなることもあります。
実際、ワインは毎年天候が変わるし、代替わりすればスタイルも変わります。ワイン生産者は性善説ではなく、性悪説でも考えなければなりません。ワインに混ざってはならないものが混ぜられていて事件になったこともあります。
筆者もあの時のワインを飲みたいと探したこともありますが、ワインは生産者さんお熱い思いで造る葡萄の出来、その年の転向で左右される収穫の状況、醸造、熟成の時の人の意志、そのあとの保存状態、輸入業者さんの意思決定、販売業者さんのお客様への思いやり、消費する人のワインへの思いがつながって初めてグラスに注がれるものなのであります。同じ飲み手でもその時のお店、供されるお料理、同席する人によって、同じヴィンテージ、同じラベルのワインでもその時々によって味は違うものなのです。
筆者はワインは人、一期一会ではないかと思っています。
ワインだけではないですが消費者側の商品への感心、興味、知識欲が高まっていければこの問題が投じた一石はうまく波紋が伝わっていくでしょうし、意味のあるものになるのではないでしょうか。
筆者はそんな小さな生産者さん、小さな輸入業者さんの思いを知り、そしてお客様に伝えていく努力を改めて継続していかなければならない使命があると再認識しました。
元記事:
http://www.leparisien.fr/espace-premium/actu/il-faut-devenir-des-createurs-de-gout-29-12-2015-5406445.php#xtref=http%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fsearch%3Fq%3DVins%25E3%2580%2580Sans%25E3%2580%2580Indication%25E3%2580%2580Geographique%24src%3DIE-SearchBox%24FORM%3DIESR02
「産地非表示ワイン」生産者たちがワインを共有する。
Vins sans indication géographique : des vignerons partagés
2016年1月1日からEU圏内で産地非表示ワインVins sans indication géographique (VSIG)が導入されます。
このワインが市場に出ることによってどういった影響が出るのか。
記事によると導入歓迎派は味の創造性が広がると言っています。フランスワインインタープロフェッショナル協会では2009年これまであったワインのカテゴリを見直していました。これまで、フランス国内では独自の栽培地が厳格に決められていましたので、そこを外れるとラベルにその生産地を表記することはできませんでした。しかし2016年からその規定をはずれ自由化の方向に向かうことになります。これによって輸出の需要を満たすための新品種の開発、新しいタイプのワインを造ることができる機会を与えられたと言えるでしょう。
そしてこの新しいマーケットはどこにあるでしょうか?世界の多くの地域でまだワインマーケットが未開発の場所が多く存在します。今注目されているのは中国です。
例えば、フランスの品種を持ってきて新しい味わいを作る、フランス国内でも同じ品種ながらもガスコーニュとラングドックなど違う生産地のワインのブレンドも可能になります。造る側は新しい市場の嗜好を見て様々なタイプのワインをリリースできるということです。
ヨーロッパのワイン輸入大国でもあるフランス、ドイツがその需要を満たすためにヨーロッパで最大の作付面積をもつスペインから輸入していますが、この競争力を再構築するための選択幅を増やしたと言えるでしょう。例えば、近年、葡萄畑が増えているイングランドからも輸入し需要を満たす選択肢が与えられることにもなります。
一方、反対派の意見はこうです。
「AOC (原産地統制呼称)制度の終焉だ!」
シャンパーニュ地方のマルヌ、ヴェルテュの首長でもあり、生産者でもあるパスカル・ペロー氏は「1927年から守られているAOCの死だ。テロワール(地味)というのは複数の土壌の条件、天候条件に基づいてできた制度。それに反して私たちの土地やよその土地で疑似シャンパーニュが造られることになります。そしてこの地方の良くないとされていた土壌でもぶどうが植えられることになります。それは品質の概念がなくなり、商品の味わいの低下を意味します。これは私だけではなくすべてのシャンパンメーカーが心配していることでもあります。ブリュッセル(EU本部がある)では当たり前のことのように決められてしまったが、ここヴェルテュではみんなが仰天しました。葡萄畑の面積の増加によって、味わいのレベルを維持することは不可能です。例えば大手メーカー、グランメゾンがイギリスに畑を買ってイギリス製シャンパン造ったらみなさんはそれを試したいと思いますか?」
とこの決定に怒りをあらわにしていました。
記事はここまでなのですが、ここからでは消費者側はどうするか。
この自由競争を歓迎するべきか、伝統あるラベル表記をまもるか。とてもデリケートな問題だとおもいます。
昨今報じられているTPP導入でもそうでしたが農家さんのご意見では日本の農家さんを保護する制度を作れという声もかなり聞かれます。ところが一方ではこの自由競争を利用して、日本の農作物を輸出するという新しい試みを行う農家さんも出てきました。
フランスでもそうですが保守派と急進派の意見は分かれるところでもあります。
時代の流れとともに変わる環境を捉え、どう対応していくか。
新しいシステムを導入して想像すること、長年守られてきた良き制度を守り続けることも大事だと思います。古きを温めて新しきを知る。
あの時飲んだ美味しかったワインがまた飲みたい、そんな気持ちにもなることもあります。
実際、ワインは毎年天候が変わるし、代替わりすればスタイルも変わります。ワイン生産者は性善説ではなく、性悪説でも考えなければなりません。ワインに混ざってはならないものが混ぜられていて事件になったこともあります。
筆者もあの時のワインを飲みたいと探したこともありますが、ワインは生産者さんお熱い思いで造る葡萄の出来、その年の転向で左右される収穫の状況、醸造、熟成の時の人の意志、そのあとの保存状態、輸入業者さんの意思決定、販売業者さんのお客様への思いやり、消費する人のワインへの思いがつながって初めてグラスに注がれるものなのであります。同じ飲み手でもその時のお店、供されるお料理、同席する人によって、同じヴィンテージ、同じラベルのワインでもその時々によって味は違うものなのです。
筆者はワインは人、一期一会ではないかと思っています。
ワインだけではないですが消費者側の商品への感心、興味、知識欲が高まっていければこの問題が投じた一石はうまく波紋が伝わっていくでしょうし、意味のあるものになるのではないでしょうか。
筆者はそんな小さな生産者さん、小さな輸入業者さんの思いを知り、そしてお客様に伝えていく努力を改めて継続していかなければならない使命があると再認識しました。
元記事:
http://www.leparisien.fr/espace-premium/actu/il-faut-devenir-des-createurs-de-gout-29-12-2015-5406445.php#xtref=http%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fsearch%3Fq%3DVins%25E3%2580%2580Sans%25E3%2580%2580Indication%25E3%2580%2580Geographique%24src%3DIE-SearchBox%24FORM%3DIESR02